so:an

読む。書く。のこす。

○巻き煙草

ここのところ読んでいた堀江敏幸『河岸忘日抄』では手巻き煙草、原りょう『そして夜は甦る』では両切りの紙巻き煙草の描写が出てきた。
ちなみに手巻き煙草は試したことがない。『河岸忘日抄』で主人公が整形に悪戦苦闘している姿を読んでいると、あまり食指が動かない。クルクル巻いていく過程は楽しそうではあるけど。
それに手で巻いた後に出来上がる両切りの煙草も器用に吸えない。学生の時、手持ちのお金がないときにはゴールデンバットに何度もお世話になっていたのに、舌にまとわりついてくる刻まれた葉の欠片がどうしても気になってしまう性質だった。噛み煙草ではないのにペッとしたくなる。
『そして夜は甦る』で沢崎の吸っているのは両切りのピースで、あと同じものを『第一阿房列車』で内田百けんが吸っていたけど、こちらは缶入り*1。両切りを何の違和感もなく吸うおじさんとおじいさんの姿に成熟したものを感じてしまう。
それはそうと、缶も箱もピースの中身は同じものだと思うけど、

盛岡で雨の中を歩いた時、幾つか買ったピースの罐がもうなくなっている。秋田で買おうと思ったが、罐入りがなかったので、小函入りを幾つか買ってきた。横手には罐入りはなかった。その小函ももうなくなりかけている。婆に申し出た。
「煙草を持って来てくれ」「煙草は何ですか」「ピースだ」「ピースはありません」「おやおや、止むを得ないね。それでは光でいい」「光でよろしければ持ってまいります」
座敷を出て行って、後ろ向きになった所で云った。「罐入りのピースだったら、ありますけれど。」
びっくりして、あわてて呼び止めた。「罐入りがあるなら、持って来てくれ」「罐入りでよろしいのですか。はい」(『第一阿房列車内田百けん(新潮文庫)p281-282)

というやりとりがおかしい。コンビニで研修中のアルバイトさんに煙草を注文すると、たまにこんな感じのやりとりになってしまうので最近は張り出してある番号で頼むことが多い。

*1:参考:[http://www.go-smoking.net/column/col070301001.htm:title=缶ピース初体験レポート]